◆区間
大阪市福島区下島付近〜大阪市福島区下島付近
◆主要ルート
旧中津運河(淀川左岸)〜大川〜京橋〜平野川〜阿倍野墓地〜南海高野線〜旧境川運河〜六軒家川
◆全長
約28.0km
◆道路構造
全線高架6車線(内回り3車線・外回り3車線)
設計速度(本線)60km/h
◆今後の開通予定
第2環状線としては「なし」
「大阪都市再生環状道路」としては2045年度全線開通予定
◆事業費
不明
阪神高速道路は1号環状線の開通以降も順次池田線などの1号環状線へとつながる放射路線の整備を続けましたが、大阪府下においてはさらに人口増加や開発が見込まれており、現状以上に都市高速道路の整備が必要でした。ですが、当時の1号環状線を中心とした阪神高速道路網は、既に計画されている放射路線も含めたもので一つの道路網として完成するもので、さらなる放射路線を計画して接続する事は、当時の阪神高速道路網への影響が大きいと判断されました。そこで、考えられたのが第2環状線構想です。
昭和45年に答申された第2環状線は現在の1号環状線より外側に環状道路を建設して、そこへ大阪の郊外へと延びる新たな放射路線を接続するものです。最大の特徴は1号環状線へのさらなる交通流入を抑えるために、この第2環状線からは1号環状線へは行けない構造になっています。また、片側3車線の往復6車線ので、一方通行の1号環状線とは異なり、内回り・外回りの両方向に対応しています。3号神戸線や13号東大阪線などとも接続する予定ではありましたが、JCTはすべて環状線の外向きに接続しており、第2環状線からは1号環状線へは向かえなくしています。その為、当時の阪神高速道路とは別系統となる路線としても考える事が出来、第2環状線を中心とした新しい第二の阪神高速道路を建設するというかなり壮大な計画でした。
1号環状線の外側に建設するために、大阪市中心部から遠くなり、さらに1周もかなり大きくなりますので、真ん中で大阪市中心部を東西に貫く「長堀線」を建設してショートカットと大阪市内中心部へのアクセスも確保しています。
↑昭和45年答申の第2環状線と放射路線の接続方向の図です。
無理矢理大回りをすれば第2環状線から1号環状線へは行けないことはないですが、まともに走れば行けなくなっています。
第2環状線は事実上あらたな阪神高速道路網を作るに等しい壮大なものでしたが、ちょうどその当時から公害問題が日本全体の社会問題化した頃で、特に高速道路は騒音や排ガスが問題となり、阪神高速道路も第2環状線も含めてこの問題に直面していました。第2環状線は最初に、放射路線の高槻線とそれに繋がる第2環状線の部分開通を目指していたようで、現在の2号淀川左岸線2期区間にあたる新家町(現在の海老江JCTや大開付近)〜豊崎(新御堂筋)までの区間を、「大阪高槻線」として、用地買収の着手を目指していましたが、沿線住民の反対により公害調停が行われる事になり、計画は思うように進みませんでした。
結局はこの最初の1歩からほぼ計画を進める事が出来ず、昭和57年に第2環状線を含めた計画を練り直した構想が出されます。
◆城東線区間
都島本通り(大阪市都島区)〜美章園(大阪市阿倍野区)(約9.0km)
(上記の距離や図については阪神高速道路公団30年史の記載を参照して作成していますが、実際はルート選定をしなおしているので、恐らく昭和45年答申の同区間のデータだと推測されます)
◆今後の開通予定
なし
◆事業費
不明
昭和45年答申の第2環状線やその放射路線の構想は、当時の日本全体での公害問題などを背景に思うように進められず、また、高度経済成長を前提とした計画でしたが、石油ショックなどにより実際の社会状況との差が生じてきた為、構想を大きく変更する事となりました。それが昭和57年にだされた構想で、第2環状線については西側の区間が大きく変更され、代わりに淀川左岸線が計画され、それと合わせて湾岸線、城東線、泉北線、大和川線といった複数の路線で第2環状線を形成するように変更されました。
この構想については淀川左岸線や大和川線、泉北線については概ねルートがはっきりしており、現在は湾岸線は開通済み、淀川左岸線は一部開通で残りは未着工ですが都市計画済み、大和川線は一部開通済みで、泉北線については廃止にはなりましたが用地買収まで進めれていました。ただ、城東線については以前の第2環状線からルートを見直す予定だったようで、はっきり何処を通ると明言した資料がだされた事がなく、新たにルート選定をしていたようです。
この城東線については、大阪市議会「平成8年度決算特別委員会(平成9年10月9日)」の会議録に関連する発言あがりました。大阪市交通局建設技術本部計画部計画課長から、城東線のルート候補として森小路大和川線こと「今里筋」があがっているという発言があり、交通局の方なので少し部署が違いますが城東線がルートを選定している段階である事と、今里筋が候補にあがっていたという事が分かりました。この委員会で「城東線」の名が出たやりとりは、現在は開通していますが当時計画段階だった地下鉄今里筋線の建設予定ルートに、阪神高速「城東線」のルート候補があるなら調整の協議をすべきではないかというものでした。なので阪神高速ではなく地下鉄などを担当している交通局の方からこういう発言が出たようです。また大阪市議会では「城東線」については、泉北線関連でしばしば名称が出ており、大阪市側の発言を見ている限りでは、地下構造を前提に構想されていたようです。