◆区間
都島区都島中通付近〜枚方市長尾付近(23.8km)
◆出入り口
・古市南通付近
都市計画道路大阪枚方京都線に接続
・ひえ島(現在の第二京阪道路「門真JCT」付近)付近
(※ひえ→草冠に「稗」)
・小路(現在の国道170号線讃良川交差点付近)
国道170号線大阪外環状線に接続
・交野町(現在の私部西付近)
枚方大和高田線(国道168号線)に接続
・杉(現在の第二京阪道路「学研枚方IC」付近)
◆事業費
不明
第2環状線などと同様に昭和45年に答申された路線で、第2環状線から枚方方面へと伸びる放射路線です。この第2京阪線のルートや道路構造等を見直したものが現在の淀川左岸線延伸部で、大阪市内の都島区〜門真JCTまではほぼ同じルートを通しています。
<門真〜京都について>
この「第2京阪線」という名称から想像できるかもしれませんが、門真JCTから北は現在の「第二京阪道路」にあたります。昭和45年の答申では大阪市内から枚方の杉(現在の第二京阪道路「学研枚方IC」)までですが、構想としてすでに京都へ伸ばす予定でした。現在の第二京阪道路は旧日本道路公団で現在「西日本高速道路」の管理する道路で、阪神高速道路ではありませんが、当初は阪神高速の路線として計画されていました。ですが、いろいろあって阪神地区の都市高速道路を整備している阪神高速道路ではなく"国"が整備を進める旧日本道路公団が事業主体となり門真JCTより北の区間が建設されました。要は、門真から北は阪神高速が整備しようとしていた路線を"国"に持っていかれた感じになります。それで、代わりに阪神高速が受け持つことになったのが淀川の北岸に構想された京阪連絡道路こと「第三京阪道路」なのですが・・・。
<大阪市内〜門真について>
門真から西の区間についてはそのまま阪神高速の路線として残されましたが、門真から北の区間が阪神高速の路線で無くなった為か、「大阪門真線」や「淀川左岸線3期」などと路線の呼称が変化していきました。また、住宅密集地など過密な都市部をまともに貫く事になるので、一般的な高架道路で建設するのは現実的に難しく、長年大きな進展がありませんでした。ですが、阪神高速道路の第2環状線構想が大阪都市再生環状道路として見直され際に、この環状道路を構成する路線になったことで、ルートや建設手法など、実現に向けた検討がされるようになりました。その後も時間はかかりましたが、都市計画が決定されついに事業着手に至りました。開通は2032年度が予定されており、「第2京阪線」として答申された1970年(昭和45年)から60年以上もかかる事になりました。事業化までにあまりに長い道のりを辿り、公団の民営化など幾度も困難を乗り越えた「阪神高速」の路線ですので、出来れば「第2京阪線」構想の立案に携わった方が、開通時にもご存命であれば嬉しいのですが・・・。
さて、前述の項目で「門真から北は阪神高速で整備しようとしていた路線を"国"に持っていかれた」と記載していますが、これは何か法律でそうなったとか、そういう要請がどこかしこから出たとか、阪神高速に問題があったからとかでそうなったわけではありません。私が調べた限りではこの第二京阪道路をは建設省が国土幹線道路ネットワークとして整備すべきという判断した事で、旧日本道路公団が事業主体になりました。
第二京阪については、大阪市や京都市など沿線の自治体からも阪神高速道路公団が事業主体での建設を望まれており、京都市内の都市高速(現在の8号京都線)と一体となり整備する事が考えられていました。阪神高速道路公団も京阪神高速道路公団に改組することも考えれていました。昭和45年に第二京阪線という名称で都市高速である阪神高速の構想路線として答申されていたのは、京阪間も阪神間のように都市高速道路で結びつけて発展する未来を見ていたからだと思います。
このように自治体レベルでは第二京阪は阪神高速として建設してほしいという事業主体について論じられるようなっていたのですが、どうも上の方ではそういう事を良く思っていなかったようです。8号京都線の建設誌に記載されている建設に関わった方の手記によると、そこには第二京阪道路の事業主体論について自重するように、建設省道路局から自治体への締め付けが強く、その結果、自治体は事業主体は中央(国)で決めて欲しいというニュアンスに変わっていったとのことです。
ただ、阪神高速道路で建設すべきだったかというと実際微妙な点があります。阪神高速道路公団の時代は、新路線が開通する毎に通行料金が上がっており、もし、阪神高速が第二京阪道路の事業主体となっていた場合は、その莫大な建設費を阪神高速全体の通行料金に上乗せされていた可能性もあり、結果としては、日本全国の高速道路の一部として建設された今の状態が良かったのかなと思います。